就職活動において、偶然の要素に任せることは
必要なことだと思っています。
でも、すべてを偶然に任せるんじゃなくて
キャリアのなかの「節目」だけはデザインしなければならない。
(『夢と希望の就職論。』より)
僕は偶然に身を任せることが多いタイプの人間だと自負しています。
あれこれ考えて、自ら選び取ることももちろん大切なのでしょうが、
すべてを自分の力で決めるのはおそらく僕には不可能だし、
考えすぎて逆に泥沼に嵌ってしまう場合もあるんじゃないかとも思うのです。
就職活動というのはある意味では“縁”だと思うので、
それこそ、僕個人の希望がすべてまかりとおるとは思っていません。
もっというと、まかりとおそうとするのは「エゴ」であり、
「自分のことしか見えなくなっている状況」なんじゃないかな、とも思います。
“人事を尽くして天命を待つ”というやつでしょうか。
研修病院選びが佳境ですが、
尽くせる人事は、まだまだ無限にある気がします。
無限にありすぎて、やり切れるわけもなく、
結局、できることしかできないでしょう。
そして、選んだのか、選ばれたのか、はっきりしないままに、
その先へ進んでゆくことになりそうです。
それでもよいと思っています。
はじめから“最善の道”なんてなく、
選んだ(あるいは選ばれた)道を“最善”にすべく、
努力してゆくしかない。
その中で、「節目」だけは、自らデザインしなければならない。
来るべき「節目」をいかにデザインするか。
そもそもなにをもって「節目」と判断するか。
僕に判断し、デザインする能力があるのか。
よくわからなくなってきましたが、
あとから振り返って
「熱中していた瞬間」
「めちゃくちゃがんばって、成長していた瞬間」
というのが、実は「節目」だったりするのではなかろうかと、
最近は考えたりします。
やはり、「週に2〜3回は更新したいなー」くらいの中途半端な目標では、
継続することはできないようだ…
そこで、一念発起。
本日から本ブログ、スタイルを変えます。
毎日更新します。
果たしてどこまで続くのか?
乞うご期待!
継続することはできないようだ…
そこで、一念発起。
本日から本ブログ、スタイルを変えます。
毎日更新します。
果たしてどこまで続くのか?
乞うご期待!
知識は要らないよ
それより、スポンジのような吸収力をもっておいで。
フットワークと。
(研修医の先輩からいただいたメールより)
そんなわけで、
僕の実習のテーマは
“スポンジのような吸収力とフットワーク”
となりました。
意識するだけで得られるものではないと思うので…
テーマに据えたら、具体的な行動として噛み砕こう。
“吸収”するには、興味とやる気をもつことが前提かつ最良だと考える。
興味を持つには、勉強し、理解し、疑問をもち、解決してゆくこと。
自分のやりたいこと、自己実現像をできるだけリアルに描くこと。
そのためにはやっぱり、勉強して、行動して、知識と視野をひろげること。
そのための切り口、材料はいくらでもある…貪欲に動くこと。
それが“フットワーク”。
“スポンジ”も“フットワーク”も、密接に関係しているんだね。
今日はひとりで黙々と泳ぐ。
同じコースで一緒に泳ぐひとはいない。
泳ぎはじめれば、完全に僕ひとりの世界。
ただでさえ自由な僕は、重力や外界の音からも開放され、
いっそう、自由になる。
ほんの一時間程度の水泳時間でも、
起伏に富んだ、ちょっとしたドラマになる。
ひとりであるがゆえの、深い心情ドラマ。
泳ぎはじめの開放感。
水に溶け込むような心地よさ。
純粋な、運動自体のもつ愉しさ。
そして、少しの、疲労に対する恐怖。
それを上回る、心技体の向上に対する期待感。
練習の途中、疲れを感じる局面が数回来る。
設定メニューを減らそうか。
途中で上がってもいい。
僕は完全に自由だから、途中で手を抜いたとしても、
きっと誰にも責められない。
そういうサボり心も飲み込んで、
排除はせず、同居しながら、
目の前の運動の魅力にもう一度目を向ける。
練習後の達成感をイメージする。
練習の積み重ねで得られるであろうものに、思いを馳せる…
(それでも時々負ける。勝った負けたを繰り返し、総じて前に進む)
自身の中に深く潜り込んだ後は、
その反動からか、外へと発信したくなる。
(それでいま、こんな文章を書いている。)
自分以外の人と、コミュニケーションが取りたくなる。
不思議と、やさしい気持ちで。
やさしい歌がいつもより染みるのがわかる。
この世に、おもしろくないものなんてないようにおもえる。
部活とは違った側面で楽しめる、
ひとり水泳のすすめ。
たまにはいいね。
同じコースで一緒に泳ぐひとはいない。
泳ぎはじめれば、完全に僕ひとりの世界。
ただでさえ自由な僕は、重力や外界の音からも開放され、
いっそう、自由になる。
ほんの一時間程度の水泳時間でも、
起伏に富んだ、ちょっとしたドラマになる。
ひとりであるがゆえの、深い心情ドラマ。
泳ぎはじめの開放感。
水に溶け込むような心地よさ。
純粋な、運動自体のもつ愉しさ。
そして、少しの、疲労に対する恐怖。
それを上回る、心技体の向上に対する期待感。
練習の途中、疲れを感じる局面が数回来る。
設定メニューを減らそうか。
途中で上がってもいい。
僕は完全に自由だから、途中で手を抜いたとしても、
きっと誰にも責められない。
そういうサボり心も飲み込んで、
排除はせず、同居しながら、
目の前の運動の魅力にもう一度目を向ける。
練習後の達成感をイメージする。
練習の積み重ねで得られるであろうものに、思いを馳せる…
(それでも時々負ける。勝った負けたを繰り返し、総じて前に進む)
自身の中に深く潜り込んだ後は、
その反動からか、外へと発信したくなる。
(それでいま、こんな文章を書いている。)
自分以外の人と、コミュニケーションが取りたくなる。
不思議と、やさしい気持ちで。
やさしい歌がいつもより染みるのがわかる。
この世に、おもしろくないものなんてないようにおもえる。
部活とは違った側面で楽しめる、
ひとり水泳のすすめ。
たまにはいいね。
学習意欲の低い一週間でした。
したり顔で、物事を興味のあるものとないものとに分別し、
興味がないからという理由で手を抜くことは、
自身の可能性を狭め、人生のおもしろみを減らすことに繋がる…
今週はそれをしてしまうことが多かった気がします。
反省。
“つまらない本はない。
つまらなく読む読者がいるだけだ”
つまらなくないように生きたいものです。
したり顔で、物事を興味のあるものとないものとに分別し、
興味がないからという理由で手を抜くことは、
自身の可能性を狭め、人生のおもしろみを減らすことに繋がる…
今週はそれをしてしまうことが多かった気がします。
反省。
“つまらない本はない。
つまらなく読む読者がいるだけだ”
つまらなくないように生きたいものです。



