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『割合』って、難しくないか?

比べられる量をもとにする量で割ったものを割合といいます。

(小学5年生の教科書より)



うーん…これ、難しくないですか?
先日、家庭教師として教える側に立って改めて、そう思いました。

僕が人生で始めて「勉強につまずいた」のは、たしかここでした。
頭よくないくせになんでも自分なりに納得したがるガキだった僕は、
上に書いた定義から十分にその概念を理解することができず、
あれこれ悩んだ記憶があります。

級友たちは、
「そんな難しく考えないで、小さい方を大きい方で割ればいいんだ!」
とか言っていたし、
担任の先生は、僕がなにに悩んでいるのかわからないみたいでした。
問題を解くのに不自由はなかったんだけど
(↑嫌味…中学生まではわりと秀才だったのです)、
しまいには、「割合」という概念はいったいどこから生まれ、どこに行くのか…
なんて無駄に深く考えたりして、悶々としていました。

皆さんは、小学生に「割合」を教えるとき、どんなふうに教えますか?


以下、現在の僕の指導方針。



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その圧倒的な可能性に触れ、自ら学ぶ。

兎の眼 (角川文庫)兎の眼 (角川文庫)
(1998/03)
灰谷 健次郎

商品詳細を見る



「教師になりたい」という友人がいたら、必ず薦めている本がある。
灰谷健次郎作、『兎の眼』。

ひとりひとりの、子供たちの純心が、心に刺さる。

そんな純心にあてられ、自らの純心もまた晒すことで、
子供たちと真正面から向き合う小谷先生に、教育者の原点をみる。

“教員やくざ”足立先生のまっすぐな視線と理念に、
教育者のひとつの理想型をみる。

何度読んでも、感動させられるくだりがある。
わかっているのに、そのたび、打ちのめされる。
この感動がどこからくるのか、考える。
それは子供たちのもつ、あまりに豊かな“可能性”であると気づく。

すべての子供たちのなかに、
計り知れない可能性の豊かさをみる。
その可能性に圧倒される。
気づかないまま、その可能性を狭めることもある。
内なる恐怖におののく。
可能性の大きさに対する、畏怖の念。
圧倒されつつも、ぶつかることで、自身も一緒に成長してゆく。
まさに「教育者の醍醐味」か。

僕自身、教育に興味がある。
人間社会で生きるならば、
誰もが教育者としての資質を問われる時がくると思うし、
教育のもつ圧倒的可能性と魅力に触れ、感動し、
自身も成長してゆくのだと思う。
そうありたいと願う。

未来の教育者の、泥臭く、熱い理想と夢が聞きたい。




志望動機

「なぜ医者になろうとおもったんですか?」

いままで何度も訊かれてきた質問。
僕があまり好きではない質問。

皆さんは自身の職業、あるいは将来目指している職業について、
その志望動機を他人にうまく説明できるでしょうか。
僕は、苦手です。

この類の質問が苦手な理由はいくつかあるけど、
大きな理由のひとつとして、
「ひとことでは言えない」ってことが挙げられます。
さらにいうと、その「志望動機」自体だって、
日々の学びの中で常に変化してゆくものだとおもうからです。

先日も外病院の先生におなじような質問をされて、
困ったから仕方なく「手に職をつけたくて」みたいに答えたら、
がっかりされたというか馬鹿にされたというか、
「君たちの中には“熱い”理由で医師を目指した者はいないの」
「たとえば“家族が病気になって助けたいと思った”とかさ」
みたいに、“最近の若者は~”的なノリで言われて。
(実際、そういう類の答えを求めてくる人は多いと思う)

でもさ、そういう経験(親しい人の病気や死など)ってのは、
「きっかけ」であって「志望動機」ではないんじゃないか。
「きっかけ」はだれにだって様々にあるとおもうけど、
そういうひとつひとつの「きっかけ」に色んなことを見出して、
経験や学びを積み上げることで自分の中で昇華させ、
「この先自分はいかに生きるか」
を考え導き出すのが、「志望動機」なんじゃないかとおもう。

だから、あたりまえだけど、
初めて医師という職業を意識した高校生の頃の僕と今の僕では、
「志望動機」はずいぶん違ってきているわけだし、
これからも変わってゆくんだとおもう。
そして、それが自然だともおもう。
(根っこにあって変わらない大切なものも勿論あるだろうけど)
そういう、言ってみれば『自身の生き方についての考察』を、
雑談の流れで簡単に説明するのは難しいと感じる
(親しい間柄でじっくり話し合うなら別)。

でもそれは結局、僕のコミュニケーションスキルの問題だよね。
端的かつ場に応じて、自分の考えをうまく表せたらいいな。

改めて考えてみたけど、いまの僕なら、まず一言、
「やりがいがあると思ったから」
と答えるかな。
で、その後話題が発展する余地があったら、
そのとき僕や相手が考えている“やりがい”について、
一緒に深めてゆけたらいいな。

模範解答なんてなくてもいいし、
考え方もひとそれぞれでよいとおもう。


今日から国家試験が始まりましたね。
先輩方の熱い“志望動機”が成就することを、
陰ながら応援したいとおもいます。



その『手紙』に込められたもの

手紙手紙
(2003/03)
東野 圭吾

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兄の手紙が、届くたびに、上手くなっていく。

それだけで、僕は泣けた。
いわんや最後の手紙をや。

少しずつ上手くなる兄の手紙とともに、物語は展開してゆく。
主人公の人生は、その兄の存在に翻弄される。

「理不尽だ」と思った。
でもそれは、ある側面では、理不尽ではないのだ。
理不尽だと思うものが理不尽ではなくて、
一見理不尽でないものがものすごく理不尽だったりする。
僕がなにも知らないだけなんだろう、きっと。

「差別だ」とも思った。
客観的に見れば、明らかに差別だろう。
けれど、それは確かに僕自身の中にも存在していて、
しかもそれを完全な「間違い」であり「悪」であると、
断定できない自分も自覚している。
この社会で生きるうえで、避けようのないものなのだろうか。
僕はまだ、「社会」のことを知らなさ過ぎる。

明確な答えは示されないままに、
ひとつの事件が信じられないくらい多くの人々を飲み込む。
多くの人間の人生を狂わす。
次々と、これでもかというくらいに、未来が潰される。
その中で、生まれるものもある。

東野圭吾氏がこの作品で示すメッセージはなにか。
明確にひとつ挙げろと言われると難しい。
それくらい、「犯罪者の家族」というテーマに、
真正面から向き合っている。
多角的な問題を、多角的な視点のまま切り取っている。

真正面から闇に向き合っていることを感じるからこそ、
上手くなっていく「手紙」に胸が詰まり、
兄弟ふたりで母のために剥いた「甘栗」に涙できる。
そんな作品だと思う。



MY DREAM

【今日の名言】

『かやぬまくん、きみのドリームはなんですか!!』
(by某科教授)






いやー、いきなりだったからうまいこと返せませんでした…
残念です。

というわけであらためて、24歳現在、
僕の将来のドリーム、考えてみました。




【僕のドリーム】

・屋根付きの駐車場を借りる
(北海道で青空駐車場は大変なので)

・コーヒーの“豆の違い”を楽しむ生活をする
(できれば毎朝、サイフォン式のやつで淹れたい)

・“地デジ”に対応する
(最近画面の右上に“アナログ”って出てるんですが、あれはなんですか?)

・ミニ柴とミニブタを飼う
(かわいいよね)

・友達が急に遊びに来た折、
 「おいおい、そんな急に来られてもー(笑顔で)」
 「いまちょうど、出せるものなにもないなぁ」
 「仕方ない、ピザでもとろうか!」
 というくだりの実現

(僕の実家はピザ配達圏外だったんで、そういうのに憧れるのです)




夢は見るものではない。
叶えるものである!!!!





そんな感じで、2月もがんばってゆきたい。



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プロフィール

keigo

Author:keigo
試される大地、北海道・札幌在住の大学生。
現在医学部6年目、国家試験に向けて日々勉強中。
趣味は競泳、読書。

心に残ったこと、残しておきたいことを、読書日記を軸に書き留めていきたいと思います。
週2~3回くらいの頻度で更新していきます。
コメント・トラックバック熱烈歓迎です。

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